北方領土問題

 歯舞群島、色丹島、国後および択捉島の北方領土は、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々でしたが、1945年(昭和20年) 8月の第二次世界大戦終了直後、ソ連軍により不法に占拠され、日本人の住めない島々となりました。

 北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。

 北方領土問題とは、先の大戦後、70年以上が経過した今も、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。

 北方領土返還の実現に向けて、全国で本県と同様に幅広くねばり強い返還要求運動が実施されています。

 北方領土の返還は国民すべての願いであり、滋賀県民一人ひとりの願いでもあります。

歴史的経緯

 戦争による領土の変更などは平和条約によって定められるべきものであることは国際法の原則とされています。

 1951年(昭和26年)9月、日本が受諾調印したサンフランシスコ平和条約(第二条(C)項)の規定によって、日本は南樺太と千島列島を放棄しましたが、これらの地域が最終的にどこに帰属するか決めていませんし、日本が放棄した千島列島には、北方領土は含まれていません。

 他方、サンフランシスコ会議でソ連のグロムイコ代表は、南樺太と千島列島に対するソ連の主張を認めることなどの平和条約案修正を申し入れましたが認められなかったため、結局ソ連は平和条約に調印を拒否し、日本はソ連との間に個別に平和条約を結ぶこととなりました。

 しかし、ソ連(ロシア)は、戦後北方領土までも武力で占領したまま一方的に自国領土として管轄権を及ぼしています。