北方領土問題のはじまり

 歯舞群島、色丹島、国後および択捉島の北方四島は、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々でしたが、1945年(昭和20年)8月の第二次世界大戦終了直後である8月28日から9月5日までの間に、ソ連軍により北方四島のすべてが不法に占拠され、日本人の住めない島々となりました。

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北方領土返還要求運動滋賀県民会議とは

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 1976年(昭和51年)4月に、各都道府県ごとに地方推進委員1名が委嘱され、その人を中心に県民会議の結成が呼びかけられました。はじめは、パンフレットの配布、署名運動などの啓発活動が行われていましたが、政府が1981年(昭和56年)1月の閣議で2月7日を「北方領土の日」と定めたことによって、県民会議結成の気運が急速に高まりました。

 そして、1982年(昭和57年)10月8日、県医師会館において会員団体等から170名が出席して県民会議の設立総会を行いました。現在では、県・県議会および市町・市町議会、民間団体など158団体が会員となって、返還要求運動を展開しています。